診療記録(不眠症)

不眠と目眩に柴胡桂枝乾姜湯+苓桂朮甘湯
〔症例〕女性 37歳 主婦
〔主訴〕目眩
〔現病歴〕1ヶ月前から目眩がして揺れて浮く感じがする。そして疲れやい。疲れると動悸、不整脈が起きる。寝つきが悪く朝方まで眠れない。頭の芯の緊張感が取れない。物事を考えすぎる傾向がある。
〔現在症〕中背やや細身。頻脈で細い。舌は乾き白黄色の苔が薄くつく。腹は陥凹し腹皮が薄い。上腹部で両腹直筋が幾分緊張する。右季肋下は押すと抵抗がある。鳩尾から臍にかけ動悸を触れる。便秘3~4日に1回。生理は規則的だが量が多い。手足冷えやすい。お産2回。
〔治療経過〕某年9月初診。目眩と不眠を同時に治せる薬を探し腹証も併せ考えて柴胡桂枝乾姜湯を用いた。1週後には眠りが多少改善し通じもついた。患者はやはり不眠と目眩が辛いと訴えた。柴胡桂枝乾姜湯+苓桂朮甘湯として2週後、目眩が和らぎ耳鳴・耳閉感も消えた。まだ寝つけない日はあるがイライラは取れたという。同湯で1ヶ月後、寝つきが楽になった。疲れなくなり信じられないくらい体を動かせるという。2ヶ月後には不眠も目眩もすっかり消え体力がついた。3カ月後元気ではいるが毎日動悸がするという。心電図では期外収縮あるが心配はいらない由。4カ月後体調がよいといって外来が途絶えた。
〔治療コメント〕今振り返ると患者さんは初診の際先ず目眩を訴えたのですから、先ず苓桂朮甘湯を用いてよかったのです。しかし実際は目眩と不眠の一石二鳥をもくろんで柴胡桂枝乾姜湯を用いかえって回り道をしました。このように主訴を適切にとらえないと手際のよくない治療になります。そこで以後は患者さんがひとしきり話した後で、必ずいろいろ訴えた中からまず最初に何を治したいか選んで頂くことにしています。
虚証で神経質傾向があれば柴胡桂枝乾姜湯は不眠症の第一選択の薬です。さらに虚証なら加味帰脾湯を用います。柴胡を含む処方は便通も改善することが珍しくありません。柴胡には油性成分が入っておりこれが腸壁を潤滑にします。目眩に苓桂朮甘湯が速効しました。本方で一緒に疲労もぬぐい去るように消え動ける方がいます。本方の構成は茯苓、桂枝、白朮、甘草で、このうちどの生薬が疲労を治すのにあずかるのか思案中です。(050406)
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“効くけど飲みたくない” 焦燥、疲労、不眠に加味帰脾湯
〔症例〕女性 46歳 店員
〔現病歴〕診察室に招くと挨拶もそこそこあふれ出るように話し始めた。
疲れるとよく膀胱炎症状を起こす。今朝から残尿感がはじまった。家庭も職場も忙しくそれで疲れる。数年前の交通事故以来不眠になり就眠前に安定剤のdepas(0.5)1Tを飲んで眠る。このまま飲み続けることになるのかと思うと不安だ。家ではイライラすることある。離れて暮らす大2の娘がいる。高2の息子は大きくなった。隣家の義母には気を使う。何かあると考え込む。心配してないと何か起こるのではと心配になる。ともかく家では休むヒマがない。皆勝手で協力してくれない、自分の時間が取れない、イライラする。常に時間に追われじっくりしていられない。たとえば今こうして話しながら家に帰ってあれしてこれしてと思う。一応話し終えた様子なので次に身体の状態をお聞きした。
膝から下が冷える、胃下垂で食べられない、地震のような目眩がする、立ち眩みがする、首や肩が凝って痛む、ワーワー耳が鳴る、冷房と温かい所と2、3度行き来すると頭痛や吐き気がする。
〔現在症〕中肉中背。腹診では鳩尾に動悸を触れる。両季肋下に多少抵抗がある。生理が早まった。
〔治療経過〕某年11月初診。安定剤はそのまま続けていただいた。
最初に口をついて出た言葉が「疲れる」だった。これを主訴と見て補中益気湯を用いた。2週後には体が温まり眠りもよくなった。また薬を2週分持って行きそのまま外来が途絶えた。それから半年後の翌年6月にまたやってきた。あのあと同僚の勧めで人参湯を飲み体が温まって冷えにもよかった。今度は疲れやすい、眠れない、イライラする、余裕がなくすぐ気に障る、肩がこる、地震のような目眩がするという。そこで処方を加味逍遙散+人参湯とした。2週後にはイライラが消えた。その後しばらくの間2週分の薬を1ヶ月で飲むペースで続けた。翌年の秋10月ご子息が進路に迷い、それがもとで自分がイライラ落ち着かなかった。加味逍遙散を10日間飲んだが夢と動悸で目が覚めた。ご子息の心労の故として加味帰脾湯に変えた。1週間後には、気持ちがゆったりした、イライラしない、眠れて夢は覚えていない、動悸もしない、など効果が著しかった。薬が美味しく飲めたという。また同じ薬を上げようとしたら、意外にも飲みたくないといいます。理由を問うと、効能書きに貧血、不眠症、精神不安、神経症とある。これは精神科の薬だから飲みたくないという。漢方薬は何科の病気にでも使います。特定科の薬などはありません。そう説きましたが頑なに拒んだ。やむなく加味逍遙散に戻した。1年後の翌々年秋にイライラと不眠で来院され。このときは加味帰脾湯を飲んでくれた。
〔治療メモ〕あえて患者さんが話された順序のままに〔現病歴〕を書きました。お読みになって主訴は何だと思いましたか。つまり何を治したくて受診されたと思いますか。通常の診察では話の内容を聞きながら処方を思い浮かべたり打ち消したりして次第に処方の候補を絞ってゆきます。ただこのときは女性の生活の大変さを酌む気持ちに傾き過ぎ、処方を絞る作業が滞っていました。それで処方を書く段になり戸惑いました。その煽りで主訴も取り違えたようです。お気持ちを酌む作業と処方を考える作業との両者のバランスが大切です。患者さんが補中益気湯よりは人参湯を選んだのですから、主訴は「疲れ」ではなく「冷え」と理解するのが正解です。通常は最初に口をついて出た言葉「疲れる」が主訴のことが多いですが、この方の場合は主訴はもっと後の方に出た言葉「冷える」でした。治療の対象とする症状を決めるときは先ず何を治したいか患者さんに確かめる習慣を身につければこの種のミスは未然に防げます。
その後患者さんが加味帰脾湯の優秀な効果を認めながら、飲みたくないと断ったときは、二度目の戸惑いを覚えました。薬が余りにも体に合ったので薬の能書の「神経」とか「精神」という文字が、患者さんの自尊心を傷つけたのでしょうか。やはり治療は心身の全体を視野に入れて行うもので、薬が効けばよいと単純に考えるだけではいけないと反省しました。(050406)
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不眠に加味温胆湯加人参天麻
〔症例〕男性 38歳 会社員
〔主訴〕初診時は頭痛、後には不眠
〔現病歴〕2~3年前から頭痛で脳外科や神経内科に通った。神経的なものとして安定剤を与えられ結局効果はなかった。某漢方医院の煎薬でもやはり変わらなかった。そんな折に親戚の勧めで当クリニックを訪ねた。
頭痛は普段はボンヤリと痛み、持続性で、ひどいときは片側がズキズキ痛んで嘔気と冷汗を伴う。そのほかいつも疲れが取れない、起床時から身体が怠い、日中眠くなる。下痢しやすい(軟便)。首周りに寝汗をかく。手足が冷える。寝つきがよくない。耳鳴がする。
〔現在症〕背が高く体格はよい。表情に生彩がない。顔の肌に黄あるいは赤と糸屑様の模様が混じり顔が汚れた感じがする。要するに顔色がよくない。腹皮は厚みと弾力がある。肋下には少し抵抗がある。他に特に所見はない。つまり自覚症状は虚証で体格や腹証は実証で両者は互いに矛盾していた。
〔経過〕初診は某年4月。自覚症状は半夏白朮天麻湯の典型です。体格や腹証の所見は捨てて同湯を飲んでいただいた。2週間飲んで頭痛がしたのは1日だけと調子がよかった。4週目では軽い頭痛が1回のみ。手足が温まり、下利傾向、疲労が取れた。ただ耳鳴は取れず、寝つきも依然よくなかった。7週目には頭痛がすっかり消えた。この頃表情がスッキリして顔色もよくなった。10週目初夏で暑いせいか、日中眠くなり、横になりたくなるという。この倦怠と不眠に加味帰脾湯を2週間用いてみた。寝つきが改善しない上に下痢になった。半夏白朮天麻湯に戻しがやはり無効だった。同じく二陳湯を含むことから加味温胆湯(煎薬)に変えた。すると2週後には不眠が解消し日中の欠伸も消えた。ところが今度は首肩が張りこめかみも重く痛むという。半夏白朮天麻湯から人参と天麻を引き加味温胆湯加人参天麻とした。2週後には首や肩の凝りは取れていた。たいぶ状態がよくなりしばらくは服薬を中断したがそれでも眠りはよかった。同年11月初旬で外来が途絶えた。
〔コメント〕温胆湯は唐時代の『備急千金要方』に出てくる処方です。同書には「大病の後疲れて眠れないものを治す。これは胆冷えるが故で温胆湯を飲むのがよい」旨書いています。これを受けて和田東郭(わだとうかく)は「(略)即ち水飲を蓄える故に胆がひゆるなりと心得べし。此の旨を心得れば方意を了解し温胆の名義も明らかなり」(蕉窓雑話)と述べ、痰飲病理の観点から不眠の原因は水飲だと解明したのです。温胆湯という名前の由来も明かしてみせました。
でもなお「水飲を蓄える」、「胆が冷える」と何故加味温胆湯が有効なのかはまだ釈然としません。そこで加味温胆湯の構成を見ます。温胆湯に黄連と巵子を加えたものが加味温胆湯です。温胆湯は二陳湯に竹筎と枳実を加えたものです。つまり本方は二陳湯から派生した処方です。二陳湯は痰飲をさばく主方であり、冷えは痰飲の一症状です。ですから千金方や和田東郭の言葉は「二陳湯の加味方で胸膈部の痰飲をさばき冷え除いてやると眠ることが出来る」という意味でしょう。単純にいえば不眠症は痰飲症候群の一症状だから痰飲をさばく二陳湯加味方で治せるというのです。
結論として「不眠の訴えで、その人が以前から何かの胃症状を持ちまた身体の冷えも伴うときは、加味温胆湯を用いる」と理解すれば本方は臨床で使えると考えます。(050406)
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