診療記録(消化器症状)

常習便秘症に麻子仁丸
〔症例〕女性 56歳 主婦
〔現病歴〕20歳代からトイレが長引きバスに乗り遅れたことがある。この夏以降便が固く排便に時間がかかる。その他50歳ころから万事に疲れ易くなった。漢方薬局の薬を2ヶ月飲んだが治らなかった。疲れと頻尿を訴え婦人科を受診したら、更年期障害との説明でホルモン剤を続けている。
〔現在症〕中肉中背。脈は緩い。舌は普通。腹診では臍下不仁を認める他は所見がない。便通は2、3日に1回。便秘の他にも訴えた。①疲れ:背中の肩胛骨から上の辺りが疲れる。②冷え:両臀部で椅子に座って接する部分、膝頭、また疲れを感じる背中の部分も冷える。③不眠:寝付くのに1時間かかる。左耳にミーンと耳鳴りがして以来不眠になった。
〔治療経過〕某年12月初旬初診。ホルモン剤治療はそのまま続けていただいた。エキスで麻子仁丸5gを1週間飲むと通じがよくなりだした。窓拭きしても疲れず、気分も楽になったという。しかしなお尻やつま先が冷えた。麻子仁丸5g+八味地黄丸5g+附子末1gとして10日分処方した。すると再び便秘になり排便に難儀した。便秘すると何もしたくない気分になるという。麻子仁丸1日7.5g(3包)に増やして八味地黄丸は特に効果がなかったので止めてみた。1週後には毎日通じがつきしかも疲れを気にしなくなった。手足の冷えが減り分厚い靴下を履かずに済む。ただし寝つきは依然よくなかった。3包服用で4週間後には通じが順調で冷えと疲れを感じなかった。睡眠も改善して途中で目が覚めなくなった。電気毛布を切っても冷えずに眠ることが出来た。今までこんなことはなかったという。麻子仁丸を飲んで3ヶ月後の状態は、薬を飲んでいれば大丈夫だが忘れると便通が悪くなった。
〔治療メモ〕麻子仁丸は弛緩性便秘によく用いますしよく効きます。このこと自体は珍しくはないですが、疲れや抑うつ気分そして冷えにまで効いた患者さんは大変珍しく、この症例を紹介しました。そこで麻子仁丸にそのような効能があるのか調べてみました。本方は麻子仁、芍薬、枳実、厚朴、大黄、杏仁の六味からなってます。『漢方診療医典』の「薬方解説」読むと、麻子仁は粘滑性の下剤、杏仁は粘滑剤、大黄が瀉下剤であり、芍薬、枳実、厚朴は腸管の緊張を緩和し蠕動を調整するとあります。これで弛緩性の便秘への効能はよく理解できます。しかし疲れ、冷えについては説明がつきかねます。
ただ想像を巡らすことは出来ます。つまり麻子仁丸は単に糞詰まりを通じさせるのではなく、便秘と同時に腸管の運動と消化機能を改善し、その結果として熱を増産しかつ気力を増すのでしょう。だからこの症例のように冷えや疲労までも改善する場合もあるのでしょう。
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IBSに小建中湯+四君子湯
〔症例〕女性 38歳 主婦
〔主訴〕トイレの心配なく外出したい。
〔現病歴〕1年半位前から下痢と便秘が交互にくる。下痢、腹痛が3、4日続くと次の2日間は便秘になる。1年前消化器科で大腸カメラを受けて異常はなく過敏性大腸症といわれた。
内服したがよくならない。トイレが心配で外で友人にも会えない。
元々神経質。子供時分テスト前に腹痛が起きた。今近親者がいつ逝ってもおかしくない様態にある。
電話が入ると腹痛がして5、6回トイレに行く。
〔現在症〕均整の取れた体型で色白。胸から腹へと板の如く平旦で腹皮も薄めで軟らかい。脈沈。無苔。平素胃がもたれゲップがでる。上熱下冷。以上要するに虚証の人。
〔治療経過〕某年10月初診。甘草瀉心湯、半夏瀉心湯、桂枝加芍薬湯を各1週間ずつ用いたが下痢と便秘は変わらない。桂枝加芍薬湯+人参湯で下痢は止まったが便秘が依然治らなかった。+大黄末では下痢を悪化させ即中止した。+大建中湯、+半夏瀉心湯では反応がなかった。12月初旬に小建中湯+半夏瀉心湯に変えて腹痛・腹張が和らいだ。この薬が一番合っているという。年末に近親者が亡くなり心配事が消えて体調も落ち着いた。患者は小建中湯だけを飲み半夏瀉心湯は用いなくなった。なお便秘と下痢を繰り返すので、翌年2月より桂枝加芍薬湯+四君子湯に変え下痢が止んで有形便になった。患者が小建中湯の方が落ち着くという。小建中湯+四君子湯に変えて小康状態が続き外で食事も出来た。同7月頃から普通便で下痢を起こさなくなった。排便は3日に1回程度。排便時はやはり腹が張り痛む。
翌々年3月夫の転勤に伴い都会へ引っ越した。小建中湯+四君子湯を続けて1年が過ぎていた。
排便は3、4日に1回で下痢はしない。腹が張って痛むことはあるがまあ安定。急迫感が薄らぎ落ち着いてきた。緊張せずに外出できた。
〔治療メモ〕同年12月一層の効果を期待してエキス剤を煎じ薬に変えた。頃合いを見計らい慎重を期して変更した積もりだったが、悪い予感が的中し、翌日から下痢を起こしやむなくエキス剤に戻した。本当に敏感なお腹である。下痢・腹痛の治療は本当に難しいと思うことがあります。
(05.03.19記載)
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15年来の慢性下痢に真武湯合人参湯
〔症例〕男性 37歳 休職中
〔既往歴〕小児喘息、腰部椎間板ヘルニア、右足関節痛、胃潰瘍、狭心症。
〔現病歴〕14、5年前から下痢が続き治らない。便秘はしない。かつて検査を受け過敏性大腸症といわれた。突然便意がきてギュッと腹が痛みトイレが我慢できなくなる。1日6~8回はトイレに行く。1回目は固く2、3回目と泥状~水様となる。トイレが近くにないと不安で乗り物や車の渋滞は避ける。
地元の内科医院では治らずその紹介で遠路当院を受診した。なお胸痛発作で倒れた(狭心症)ことがある。その不安で1年前から休職している。
〔現在症〕大柄でガッシリした体格。二の腕などは太く硬い。脈実。舌無苔、湿潤、鮮紅。腹は腹皮厚く弾力あり。ビール、冷水、アイスクリームなどは下痢に影響なく平気で飲める。以上他覚所見では実証である。唯一表情と聲に多少元気がないのが違う。
下痢にどの処方を使うか考えた。診察所見では実証のものを考える。ところが内科医からの紹介状には柴胡加竜骨牡蛎湯(実証の薬)、半夏瀉心湯(虚実中間)を用いた際は悪化し、小建中湯や人参湯(どちらも虚証の薬)で一時改善して逆戻りしたとある。つまり薬が診断すると虚証なのである。
〔治療経過〕某年5月末日初診。そこで先ず四君子湯系の啓脾湯、次に四物湯系の胃風湯、さらには胃苓湯を各2週間ずつ用いて効果はなかった。以後煎じ薬に切り替えた。7月中旬に真武湯に変えて2日目から回数が5、6回に減じまた便が水様から軟便に変わった。効果が不十分なので四逆湯にすると結果はむしろ前方がよかった。再び真武湯に戻した上で芍薬を5g(標準は3g)に増やした。下痢回数が初めて4、5回に減じ、1年ぶりで職場に復帰した。服用1ヶ月後には3、4回に減じた。9月下旬に芍薬を6gに増してみたが下痢に改善はなく5gに戻した。10月初旬に人参2gを加えて2週後下痢が2、3回に減じた。次に人参湯を合方して1ヶ月後便通が1、2回となり普通の固さとなった。「下痢が楽になり欲が出ました。今度は腰痛も治して下さい」という。腰痛には疎経活血湯(エキス)が効いた。翌年1月「肩と首が凝りひどいと頭痛がする」と訴え「だんだん贅沢になります」と微笑む。前方に葛根を加味して肩こりが楽になった。
〔治療メモ〕下痢に真武湯が有効でした。方中の芍薬を増やして下痢が減少しました。芍薬に収斂作用のあることがよくわかりました。下痢にはまた人参湯も有効でした。人参だけでも下痢には効果がありました。結局この方には真武湯と人参湯の両方が相まってはじめて十分な効果が得られたのでした。
それにつけても体格はガッシリした筋肉質の人で羸痩虚弱の様子はみじんもなかった。初診して長期に下痢を病む人とはどしても想像できなかった。このような人に真武湯合人参湯が効くとは今でも信じられません。本当に例外的な症例なのでしょう。大変よい経験になりました。
(05.03.19記載)
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急性胃腸炎3例

 葛根湯 女性 40歳。
某年12月下旬。3日前から風邪をひいて鼻水とクシャミが出た。昨日から食事するとゲップが上がり、腹痛がして水っぽい下痢になる。
〔現在症〕背丈は普通の肥満体。脈は沈(平常でも沈)、数。舌には薄く灰色の苔。腹は膨隆して弾力がある。実証体質である。
〔治療経過〕葛根湯を5日分処方した。2週間後に再診して話すには下痢は2日で止まった。鼻水クシャミはなお残っていた。1年余り後の某日。風邪でかすれ声となり、咽が痛み、体に熱感と寒気がした。頭が痛み、肩がこり、下痢1回。昨日から諸症が増悪した。また葛根湯を1週分処方した。2週後の再来時風邪はすでに治っていた。
 〔考察〕この方は実証の人。感冒で下痢していると聞いてまず最初に葛根湯が思い浮かんだ。大塚敬節著『傷寒論解説』の太陽病中編には「太陽と陽明との合病は、必ず自下痢す、葛根湯これを主る」という条文がある。これが感冒下痢などで実証の患者さんに葛根湯を使う根拠となる。同書の〔臨床の目〕(42)には「葛根湯症で下痢のあるときは、肩背の緊張感がなくて、腰に疼痛を訴えるものがある。」と指摘している。確かにご本人は頭痛や肩こりは初めは訴えてなく2度目は訴えた。他方便は初は“水っぽい”2度目は“軟便”だった。
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 生姜瀉心湯 女性 44歳。
某年12月初旬。4、5日前から嘔気、胸焼け、下痢になった。今朝は7、8回吐き腹も下った。悪寒して熱感も少しある。長年風邪から胃腸炎になり易い。
〔現在症〕大柄で肥満体。色白。腹軟く両下腹に圧痛。脈沈、細、数。心下を按じてムカつきを訴えた。
〔治療経過〕半夏瀉心湯を7日分処方しショウガすりおろしその絞り汁を数滴入れて服用するよう伝えた。2週後薬が効き吐き気は治まったと述べた。咳が少し残っていた。
 〔考察〕 “嘔吐7、8回”でかつ心下痞を認めたので生姜の入る瀉心湯にした。太陽病下編に「 傷寒、汗出て解するの後、胃中和せず、心下痞鞕し、乾噫食臭、脇下に水気有り、腹中雷鳴し下痢する者、生姜瀉心湯これを主る」という章があり、これに基づいて生姜瀉心湯に決めた。“悪寒して熱感もある”は、テキストには汗出て解するの後とあり表証はもうすでに除かれているはずで、少陽の寒熱往来と解釈した。なお幕末から明治の初期の日本漢方の巨匠といわれた浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』には「(略)。古方皆乾姜あるときは生姜を用いず。唯この方のみ生乾共に用う。その深意味わうべし。(略)」と書いている。 「生乾共に用う」についてはあるとき松田邦夫先生が「生姜は胃のほうに乾姜は腸のほうに」と解説され解りやすかった。
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 黄芩湯  女性 38歳。
某年11月下旬。一昨日夜に寒気がしてその後腹痛下痢になった。
〔現在症〕中背で筋骨質。舌に苔なし。歯圧痕を認める。腹皮は厚く弾力がある。両側に胸脇苦満あり。
〔治療経過〕黄芩湯を煎薬で7日分処方した。服用3日で治ってしまた。翌年7月下旬、一週前から軽い寒気、下痢気味で何度もトイレに行きたくなり腹痛(心下部)あり。前日は体が熱く発汗。当日朝に嘔気。このときも黄芩湯3日で治った。
 〔考察〕 “腹痛”と聞いて最初は黄連湯だと思った。太陽病下編に「傷寒、胸中に熱有り、胃中に邪気有り、腹中痛み、嘔吐せんと欲する者、黄連湯これを主る」とある。 “寒気”は表証であるが文章から判断すると表証の位は過ぎている。また「腹中痛み、嘔吐せんと欲する者」とあるが患者には嘔吐症状は出ていない。つまり患者の症状は黄連湯証に合わない。この章の一つ前の章には「太陽と少陽との合病、自下痢する者は、黄芩湯を与える。若し嘔する者は、黄芩加半夏生姜湯これを主る。」とあり患者の訴えた“寒気”と“下痢”は黄芩湯証に合う。そこで“腹痛”はわきに置いて黄芩湯証とした。なお黄連湯は腹痛と嘔吐、黄芩湯は下痢で鑑別は容易いようだが、実臨床では腹痛、嘔吐、下痢は双方にあり得るので、決め手は表証の有無となり黄芩湯にはあり黄連湯にはない。表証を伴う下痢は黄芩湯以外にも幾つもあり鑑別が必要となる。
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